機能の「分散志向」と「統合志向」

 ある人は、ケータイに音楽再生機能が内蔵されたことを理由に、iPodのような携帯音楽プレーヤーを使うのをやめる。またある人は、ケータイにPCサイトブラウザが内蔵されたことを理由にモバイルパソコンを持ち歩くのをやめる。
 別の人は、ケータイの音楽再生機能が使いにくいからと、iPodWalkmanを使い始める。また別の人は、出先で長めのメールやブログを書けるようにと、モバイルパソコンを持ち歩くようになる。ついでに、PCから写真をアップするなら同じだからと、ケータイのデジカメ機能を使うのをやめてデジタルカメラを持ち歩くようになる。
 モバイルじゃなくても、似たようなことはある。
 テレビや録画の機能をパソコンで間に合わせるか、DVDレコーダーを買うか。オーディオコンポーネントを買うか、iPod+スピーカーにするか。トーストをトースターで焼くか、オーブンレンジで焼くか。空調+空気清浄+除湿を最新エアコンでまとめてやるか、それぞれ別々のマシンを使うか。
 これを考え始めた当初、その人にとって「ソレをすることが大事」な場合は「機械が独立する」という法則が成り立つような気がしていた。その理由は、「独立した専用機の方が満足度(得られるもののクオリティ)が高い」、「一台にまとめると同時に複数のことをやるときムリが生じやすい(たとえパソコンでも)」、「モバイル系の場合、一台にまとめるとバッテリー持続時間に難がある」という3点。
 この「大事=独立」の法則はなかなか妥当だと思うけれど、クオリティがベター(より良い)でなく、妥当(ほどほど)で良ければまとる選択肢もありそうだと思うようになった。クオリティがほどほどで良ければ複数のことをしてもそれほど負担にはならないだろう。その結果、バッテリーの負担も少なくなるという考え方も成り立つ。xそもそも「大事だからクオリティが最優先」という前提が、必ずしも成り立たない可能性がある。技術の進歩で、「ほどほどでもクオリティは十分」と感じることが増えたし。
 それから、ケータイで写真を撮ってテキストを書いて、まとめてブログにアップというように、「一台にまとまっているからこそ気軽にできること」をする道具は、「大事=独立」の法則から外れるだろう。
 用途別に機器を独立させると言うことは、それだけお金もかかるということも結構重要な要素だ。
 また、人による「統合志向」「分散志向」の違いもありそうだ。
 機能を統合した製品を作る/買う場合や特定用途向けの製品を作る/買う場合は、こうした点を考慮するのが大切に思える。